16歳、待ちこがれていた免許を取り、それまで続けていたアルバイトでやっと自分のオートバイを手に入れて以来、私の生活はオートバイを中心に回っていました。やがて高校を卒業し、東京で生活することが決まった時も、大きな荷物は小包で送り、自分は身の回りのものをくくりつけたオートバイで東京までやって来たのです。それからも、やはり生活の中心はオートバイであり続け、アルバイトでさえオートバイの原稿輸送、いわゆるプレスライダーをしていました。
しかし、後にある会社に就職し、20代半ばごろから仕事が忙しくなり始め、オートバイに乗れなくなっていました。
もちろん、気持ちの中ではいつまでもオートバイ乗りでいましたが、気が付けば結婚し子供も産まれ、約15年もの間、オートバイに乗る機会を失っていたのです。
ある時、夢の中でオートバイに跨っている自分が居ました。その感覚はもの凄くリアルで、体に染みついた操作をひとつひとつ確かめているような気がしました。
静かにアイドリングを続けるその振動を腰のあたりで感じながらクラッチを握り、ギアをひとつ踏み込む。クラッチレバーを徐々に解放するにつれてチェーンに動力が伝わり後輪が動き出す。まるで自分自身がオートバイになったかのように、それぞれの部品の動きさえも手に取るように感じました。そして走り出せば、目に見えない空気の感触を体全体で感じる。両腕を大きく開けばそのまま空中に浮かび上がってしまいそうな浮游感。なんて素敵な感覚だろうと思ったところで目が覚めたのですが、しばらくは、その感覚を忘れることができませんでした。

今にして思うとあの夢は、私の体に染みこんでいたオートバイを操る感覚が、間もなく消え去っていく事を暗示していたのかもしれません。このままオートバイに乗らなければ、恐らく、一生涯失ってしまう感覚だったのでしょう。そしてきっと、失ったことさえ気が付かないままでいたのかもしれません。

そんな事があってから一月後、「危ないからやめて」という妻を説き伏せ、私はオートバイを手に入れました。HONDA DREAM 50。いきなり大きなオートバイでは彼女も納得しがたいだろうと言うこともあったのですが、もともと小排気量車のシャープな乗り味が好きだったこともあり、これを選びました。このDREAM 50は毎日の通勤からレースまで、いろいろと楽しめました。この話はまた、いづれ何処かで詳しく。
DREAM 50を買ってから約2年。「見て」「いじって」楽しい、本当に素晴らしいオートバイでした。しかし、一台しかないオートバイが50ccでは物足りないことも事実です。「よっしゃ!買っちゃうか!?」腹はくくりました。経済的な問題をクリアすることも難問ですが、本当の強敵は女房です。

作戦開始。
私:「ねえ、美味いマグロをさぁ、腹一杯食いたくないかい?」
妻:「そりゃ、食いたいさ」
私:「ちょっと、足を伸ばせば、あるんだけどなぁ」
妻:「なに、たくらんでんの?」
私:「二人で、風になってみないかい?」
妻:「?」
私:「DREAMじゃ二人乗りも出来ないしさぁ、大きなオートバイ買っていい?」
妻:「馬っ鹿じゃないの!?」
作戦終了。
それから小一時間、子供達の将来について、あんたは真剣に考えてないと、お説教されました。

それでも、私の頭の中では、いろんなオートバイが走り回り、排気音の耳鳴りがする始末。選ぶ基準はけっこうシビアなのですが、タイヤが二つでエンジンが付いていれば、それなりに楽しめちゃうので、その結果全てのカテゴリーから2〜3台ずつ候補が躍り出てきたわけです。まあ、こういう時期が楽しいともいえるのですが。
まさに「寝ても覚めても」な日々を送っていたある日、もう一度女房に話を持ち出すと、以外な返事。
「いいよ、買っても。ただし、私が後ろに乗っても恐くないオートバイに、そしてこれが最後のオートバイにしてください」
扉は開かれました。いよいよ、夢が叶うのです。
しかし、自分にとっての「最後のオートバイ」を選ぶのはなかなか難しいことです。もちろん、限りなく新車の状態に近い極上の中古車。さらにいえば、二人乗りが難なくこなせて、なおかつワインディングやサーキットでも走りを堪能できる性能を有すること。

「あるわけ、ないじゃん…」

毎夜、雑誌を読みあさり、そしてネットオークションを眺めながら、理想的なオートバイを探し求める日々。やがて来るあきらめ。傍らの焼酎のビンに愚痴を言ってもそこには「いいちこ」って書いてあるだけでした。

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